民間人から見た沖縄戦の記録「鉄の暴風」

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鉄の暴風

鉄の暴風とは?

鉄の暴風とは、沖縄戦(1945年3月26日~1945年6月23日)の間、あまりにも多くの銃弾や砲弾が飛び交った状況を表現した言葉です。

沖縄タイムス社が出版した書籍のタイトルとして採用されていて、 この本は、沖縄戦の様子を沖縄県民の視点から記録したものとして評価されています。

沖縄戦を経験したのは当時の軍人・兵役についていた人たちでしたから、武力を持たない民間人による記録が多くないのは当然のことで、民間人から見た戦争が記録されている貴重な資料です。

戦後の沖縄では、戦争の悲劇を繰り返さないために、このような記録が数多く残されるようになっています。 沖縄の書店ではロングセラーとしてよく見かけるのですが、残念ながら本州の書店では見かける機会はほとんどありません。

 

沖縄戦の犠牲者

沖縄での日米両軍、そして民間人を合わせた戦没者数は20万人を超えると言われています。

また、沖縄出身者の死亡数はそのうちの12万人超と言われ、当時の沖縄の人口の約15%程度が戦争により命を落としたことになります。

現在も遺族たちの努力により、生死の確認が行なわれた方が平和記念公園にある平和の礎に名を刻銘されるようになっています。

この戦争で使われた銃弾・砲弾は、アメリカ軍側だけで2,716,691発。

このほか、砲弾60,018発と手榴弾392,304発、ロケット弾20,359発、機関銃弾3,000万発弱が発射されたといわれ、暴風で土砂崩れが起こるように、激しい砲撃で地形が変わったところもあるといわれています。まさに「鉄の暴風」であったといえるでしょう。

これらの砲弾の中には不発弾も少なからずあり、沖縄では現在でも、新規に建築作業や土地改良を行なう際には、必ず不発弾調査をまず行なってからすることになっています。そして、何かの際に不発弾が見つかることもしばしばです。

沖縄戦で主戦場となったエリアを考えると、一人でも1ヶ月もあれば歩き回ることが十分すぎるほど可能な広さしかありません。それが3ヶ月間続いたというのは、相当頑強な抵抗を日本軍も見せていたということがわかります。熾烈を極める戦いは、沖縄という土地そのものにも文字通り大きなダメージを残しているのです。

 

平和教育の場としての沖縄

沖縄は最も激しい地上戦があったということで、平和教育が盛んです。

よく「日本で唯一地上戦があった」と言いますが、正確には他の地域(現在は日本領でない地域を含む)が複数存在するため、「大規模戦闘が行なわれた唯一の地域」という言い方が正確になります。

沖縄では戦争体験者による講演会や、戦争の悲惨さを伝えるビデオ学習が学校教育の中で必ず盛り込まれますし、民間でのそうしたイベントも盛んに行われています。

生活圏内に米軍基地があることもあって、戦争というものが今もどこかであるということに敏感になるしかありません。

基地反対運動などはそうした体験と心情から出ているものであり、単純な政治的なイデオロギーでは片付けられないものであり、時折聞こえてくる交付金目当てといった声とは遠い位置にあることは地元民の感覚として確かだと感じます。

現在、戦争から70年が経ち、戦争体験者が高齢化し減って行く中で、そうした体験を伝える人がいなくなっていくことが問題視されています。

県外からの修学旅行の際も、平和学習が盛り込まれることがほとんどですが、体験者たちの残した貴重な心情の言葉を是非聞いてほしいと思いますし、沖縄をただのリゾート地、観光地で終わらせないためにもこうした歴史や文化についても県外の方にもご理解いただけたらと思います。

もしも書店などで見かけたら、ぜひ一度手にとって見ていただけたらと思います。

おみやげ品とは少し異なりますが、こうしたものも本サイトを通して紹介させてもらえればと思っております。

 

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